井上 政次(いのうえ まさつぐ)は、江戸時代前期の下総国高岡藩の世嗣。初代藩主井上政重の嫡男であったが、父に先立った。
略歴
慶長7年(1602年)、井上政重の嫡男として誕生。元和4年(1618年)に徳川家光に拝謁し、使番を務める。
島原の乱に際しては、上使となった父とともに寛永15年(1638年)1月3日に島原に派遣された。寛永18年(1641年)12月13日に番をゆるされる。寛永19年(1642年)8月27日、鎌倉で暮らしていた英勝院(徳川家康の側室)が死去したことに伴い、鎌倉に赴いて賻銀(将軍家からの弔慰金)を届けた。
慶安3年(1650年)8月22日、父に先立って死去した。享年49。井上家の家督は、政次の長男・井上政清が継ぐこととなる。
系譜
特記事項のない限り、『寛政重修諸家譜』による。子の続柄の後に記した ( ) 内の数字は、『寛政譜』の記載順。
- 父:井上政重(1585-1661)
- 母:不詳
- 正室:井上正友娘
- 長男(1):井上政清(1628-1675) - 井上家の家督を継承。
- 次男(2):井上政実 - 半十郎。徳川家綱付きとなるが、16歳で死去。
- 三男(3):井上政則(政春) - 源蔵。家綱の小姓となる。1000石の旗本家の祖となる。
- 四男(4):井上源八郎
- 女子(5) - 井上兵部(水戸家家臣)の妻
- 五男(6):井上政勝 - 源助。家綱に御目見するが、21歳で死去。
- 六男(7):井上政明 - 伊織。御書院番組頭を務める。500石の旗本家の祖となる。
脚注
注釈
出典


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