戸川 安晴(とがわ やすはる/やすはれ、寛文10年(1670年) - 享保8年5月12日(1723年6月14日)は、江戸時代中期の幕臣(旗本)。通称は甚三郎、のち采女、十左衛門、三左衛門。

早島戸川家2代・重明の七男として生まれる。

兄・安貞の養子となり、正徳4年(1714年)5月、兄の死により家督を相続する。

経済力・土木技術の限界により、父や兄の新田開発路線から知行地の生産性の向上に目を向けた。しかし、父や兄の新田開発は遠浅の干潟(児島湾)を干拓したものであるため、帯江戸川家と同様に困難を極めた。

享保3年(1718年)江戸屋敷が類焼を受け焼失する。

江戸では、小姓組や寄合勤めであった。

享保8年5月12日没。跡目は子の安聡が継いだ。

系譜

  • 父:戸川重明
  • 母:岡氏
  • 養父:戸川安貞
  • 妻:不詳
    • 男子:戸川安聡

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