カサブランカ級航空母艦(カサブランカきゅうこうくうぼかん、英語: Casablanca-class escort carrier)は、アメリカ海軍の護衛空母 (CVE) の艦級。当初、補助空母 (ACV) として建造され、イギリス海軍にレンドリース(貸与)される予定であったが、アメリカ海軍で運用された。
概要
元来は、1942年にカイザー造船所の社長ヘンリー・J・カイザーが提案した30隻建造のプランによる。当初、アメリカ海軍はさほど相手にはしていなかったが、大統領フランクリン・ルーズベルトの肝いりもあって、6月に入ってカイザー造船所に50隻の建造が発注された。カイザー造船所のドックおよび船台はもともとリバティ船建造用に建設されたものだったが、やがて戦車揚陸艦の建造も手がけ、最後にカサブランカ級の一括建造に取り掛かった。1943年7月8日に1番艦の「カサブランカ」が竣工してから、最終艦の「ムンダ」がちょうど一年後の1944年7月8日に竣工するまでの間、ほぼ一週間に1隻のペースで新造艦が送り出されたので「週刊空母」の異名を持つ。カイザーは「ベビー空母」と呼んでいた。
前級のサンガモン級での経験により、艦載機を運用するに足りる最小限の規模で設計された。その構造も建造が比較的容易な商船型を採用し、既存商船の改装ではなく一からの新設計だったため無駄を極力排した艦となった。飛行甲板はボーグ級よりも余裕があったが、サンガモン級と同じく飛行甲板の位置はボーグ級と比べて低かった。機関も安価で入手の容易なレシプロ機関を用いている。一方で抗甚性向上のため、護衛空母として初めて機関のシフト配置を採用する等、必ずしも「安かろう、悪かろう」の艦ではない。出力自体はボーグ級の蒸気タービン(1軸)と大差なかったが、排水量が少ない分最高速力は速かった。にもかかわらず、カサブランカ級搭載のレシプロ機関は効率が悪く整備に手間がかかるという機関担当の乗員泣かせの代物で、評判はさっぱりだった。
防御は貧弱で、特に喫水線下の弾薬庫の位置に装甲等がなかったことは1943年11月24日の2番艦「リスカム・ベイ」の喪失につながった。「リスカム・ベイ」は、潜水艦「伊175」の魚雷がちょうど航空機用爆弾庫の位置に命中し、船体の後ろ半分が爆散して沈没した。乗員が同じ箇所に集中していたため人的被害も甚大だった。この件をきっかけにカサブランカ級の防御対策が見直された。内容としては、弾薬庫の周囲に燃料タンクを設置し、重油を満たしてショックを和らげるといったものである。
艦名は湾等の地名に由来するが、戦場となった地名を建造中の艦に付けることがしばしば行われた。また、就役当初、「セント・ロー」はミッドウェイ、「アンツィオ」はコーラル・シーの艦名だったが、建造中の大型空母の一番艦と三番艦(当初は二番艦)の艦名に用いるため、改名された。
カサブランカ級の存在により、アメリカ海軍艦隊や船団の赴くところほぼ全てで艦載機が存在するということになった。戦後、1947年にスクラップとして売却処分された艦もあるが、ほとんどの艦が予備役に入ってモスボール(不活性化)処理がなされた。予備役の艦は1955年に雑役空母 (CVU) やヘリコプター護衛空母 (CVHE) として復帰した。1960年に再び売却処分された艦があったものの、航空機輸送艦 (AKV) に転用される艦もあり、それらの艦は1965年まで現役であった。
戦歴
カサブランカ級の戦歴のうち、サマール沖海戦は特筆すべきものである。1944年10月25日、カサブランカ級6隻を基幹とする第77任務部隊第4群第3群(第77.4.3任務隊。通称「タフィ3」。クリフトン・スプレイグ少将)はサマール島沖でレイテ湾突入を目指す日本海軍の栗田艦隊(第一遊撃部隊第一部隊および第二部隊)と遭遇。2時間の戦闘の末、駆逐艦2隻と護衛駆逐艦1隻に加え「ガンビア・ベイ」を撃沈された。さらにその後、「セント・ロー」が神風特別攻撃隊の突入を受け沈没し、「ホワイト・プレーンズ」「キトカン・ベイ」「カリニン・ベイ」も損傷を受けた。この少し前には、同第1群(第77.4.1任務隊。通称「タフィ1」。トーマス・L・スプレイグ少将)の「ペトロフ・ベイ」およびサンガモン級の「サンティー」「スワニー」にも特攻機が突入しており、わずか数時間の内に5隻もの護衛空母が沈没、または損傷した。
日本側の視点では、サマール沖海戦は戦艦「大和」や特攻隊が初めて戦果を挙げた戦いとしてよく記憶される。しかし、アメリカ軍側から見ると少々様相が異なってくる。「タフィ3」との戦闘により、栗田艦隊は重巡3隻を喪失(1隻撃沈、2隻は航行不能の末に自沈処分)し、「大和」も魚雷をかわすため進路を大きく狂わされた。栗田艦隊は再集結にも手間取り、レイテ湾突入前に貴重な戦力と時間を消耗することになってしまい、「タフィ3」はハルゼー艦隊やオルデンドルフ艦隊の準備や到着までの貴重な時間を稼いだ。
この海戦が、その後の栗田艦隊「謎の反転」の一因となった。栗田艦隊が「タフィ3」を正規空母部隊と誤認していたという幸運もあったとはいえ、全滅さえ覚悟したという困難な戦況の中で「タフィ3」はよく善戦し、レイテ湾の裸同然の輸送船団と数万の将兵を救った。太平洋艦隊司令長官の任にあったチェスター・ニミッツ元帥は、後に「タフィ3」をはじめとする護衛空母群の健闘に最大級の賛辞を送った。カサブランカ級の一部は大西洋方面の戦いにも投入され、対潜掃討および船団護衛任務に従事し何隻かのUボートを撃沈する戦果を上げている。
同型艦
脚注
関連項目
- アメリカ海軍護衛空母一覧
- アメリカ海軍艦艇一覧
- イギリス海軍艦艇一覧
参考文献
- 「世界の艦船増刊第10集 アメリカ航空母艦史」海人社、1981年
- デニス・ウォーナー、ペギー・ウォーナー/妹尾作太男(訳)『ドキュメント神風 特攻作戦の全貌 上・下』時事通信社、1982年、ISBN 4-7887-8217-0、ISBN 4-7887-8218-9
- 「世界の艦船増刊第15集 第2次大戦のアメリカ軍艦」海人社、1984年
- C・W・ニミッツ、E・B・ポッター/実松譲、冨永謙吾(共訳)『ニミッツの太平洋海戦史』恒文社、1992年、ISBN 4-7704-0757-2
- 金子敏夫『神風特攻の記録 戦史の空白を埋める体当たり攻撃の真実』光人社NF文庫、2005年、ISBN 4-7698-2465-3
- 大塚好古「アメリカの空母各級厳選写真集」「数は力 力は正義なり!護衛空母群の航空戦力」「太平洋戦争時における護衛空母全般の評価」「太平洋戦争における米空母の各種艦上機」『歴史群像太平洋戦史シリーズ53 アメリカの空母』学習研究社、2006年、ISBN 4-05-604263-2
- 永井喜之、木俣滋郎『撃沈戦記』朝日ソノラマ、1988年、ISBN 4-257-17208-8
- “USS Liscome Bay CVE56 War Damage Report No. 45” (英語). Naval History and Heritage Command. 2019年11月10日閲覧。
- Friedman, Norman (1983). U.S. Aircraft Carriers: An Illustrated Design History. Annapolis, MD: Naval Institute Press. ISBN 0-87021-739-9




