家村 相太郎(いえむら そうたろう、1917年1月5日 - 2005年)は、朝鮮京南生まれ、埼玉県川越市出身のプロ野球選手。
来歴・人物
小学3年生の時に野球を始め、川越中学校では2年次に一塁手、3年次にはエースピッチャーとなり北関東大会決勝まで進んだが甲子園には出場できなかった。
1936年に東京セネタースへ入団。
1940年に退団し、翌年から社会人野球の全京城でプレーする。
1946年にセネタースへ復帰し、同年引退した。
引退後は天理高校、母校の川越高校、天理大学で野球部コーチと監督、習志野高校でコーチを務めた。
2005年に死去。
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 20 (1936年 - 1940年)
- 11 (1946年)
脚注
参考文献
- 埼玉県立川越高校野球部OBプロ野球選手紹介 家村相太郎 - ウェイバックマシン(2007年8月13日アーカイブ分)
関連項目
- 埼玉県出身の人物一覧
- 翼軍の選手一覧
- 北海道日本ハムファイターズの選手一覧
外部リンク
- 個人年度別成績 家村相太郎 - NPB.jp 日本野球機構




