佐藤 秀明(さとう ひであき、1960年〈昭和35年〉5月23日 - 2007年〈平成19年〉3月17日)は、秋田県秋田市土崎港出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
秋田市立港北小学校、秋田市立土崎中学校卒。秋田市立高等学校(現:秋田県立秋田中央高等学校)から東洋大学へ進学。東都大学リーグでは、最上級生となった1982年春季リーグで、1年下のエース仁村徹とともに投手陣を支え優勝を果たす。同年の全日本大学野球選手権大会では、決勝で法政大学に敗れ準優勝。リーグ通算30試合に登板し5勝3敗。大学同期に後に阪神でもチームメイトとなる外野手の大野久がいた。
卒業後は社会人野球の日立製作所に進む。
1983年の都市対抗野球に富士重工業の補強選手として出場。
1984年の都市対抗野球では日立のエースとして活躍、2回戦で熊谷組に敗退したが各球団の注目を浴びた。
1984年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから2位指名を受け入団。
1985年から左の中継ぎとして起用され37試合に登板、リーグ優勝に地味ながら貢献した。西武との日本シリーズにも2試合に登板している。
1986年もショートリリーフを中心に活躍する。
1987年からは登板機会が激減。
1988年オフに福家雅明と共に、住友一哉・南秀憲とのトレードで近鉄バファローズに移籍。
1989年は中継ぎ、抑えに活躍し7勝4セーブ、救援投手陣の一角としてリーグ優勝を果たす。巨人との日本シリーズでは2試合に登板、第2戦では勝利投手になる。
1992年は登板がなく、同年限りで現役を引退した 。
引退後は球界には残らず阪神甲子園球場至近で焼肉店を開業・運営していたが、2007年3月17日、脳内出血のため西宮市内の病院で死去。46歳没。
詳細情報
年度別投手成績
記録
- 初登板:1985年5月26日、対中日ドラゴンズ8回戦(阪神甲子園球場)、9回表に4番手として救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、9回表に谷沢健一から
- 初セーブ:1986年5月31日、対横浜大洋ホエールズ10回戦(阪神甲子園球場)、7回表に3番手として救援登板・完了、3回4失点(自責点2)
- 初勝利:1986年7月4日、対読売ジャイアンツ13回戦(阪神甲子園球場)、5回表に2番手として救援登板、2回無失点
- 初先発:1991年8月11日、対福岡ダイエーホークス18回戦(藤井寺球場)、3回2失点
背番号
- 24 (1985年 - 1988年)
- 22 (1989年 - 1992年)
脚注
関連項目
- 秋田県出身の人物一覧
- 東洋大学の人物一覧
- 阪神タイガースの選手一覧
- 大阪近鉄バファローズの選手一覧
外部リンク
- 個人年度別成績 佐藤秀明 - NPB.jp 日本野球機構



![駿河屋 06 [レギュラー] : 佐藤秀樹(BBM)](https://www.suruga-ya.jp/database/pics_light/game/g5827130.jpg)
