ボド・イルクナー(Bodo Illgner, 1967年4月7日 - )は、ドイツ出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。クロスなどハイボールへの強さ、シュートに対しての鋭い反応、安定したゴールキーピングを武器としていた、1990年代のドイツとヨーロッパを代表するGKの一人である。
経歴
軍人である父ギュンターの勧めでサッカーを始めた。ボンにあるFCハルトベルクの下部組織で育ち頭角を現すと、1983年に1.FCケルンに入団。1984年に西ドイツU-16代表としてU-16欧州選手権制覇に貢献し、ドイツ期待の若手GKとして注目を集めるようになった。
ケルンでは1986年2月にトップチームデビューを飾ったものの、当時のケルンには西ドイツ代表の守護神であるハラルト・シューマッハーの存在もあって控えGKという立場であったが、確実に成長を遂げ、同年10月にシューマッハーがスキャンダルを惹き起こしたことで解雇されると、ケルンの正GKの座を掴む事に成功した。以降、ケルンの守護神として長らくゴールマウスを守り続けた。
西ドイツ代表には1987年に初選出され、同年9月23日のデンマーク代表戦で20歳でデビューを飾った。1988年のユーロ88には控えGKとしてメンバー入りし、その後は代表のポジション争いに競り勝ち、正GKに定着する。1990年のワールドカップ・イタリア大会では全試合に出場し、3度目の世界制覇に貢献、23歳でのワールドカップ優勝は最年少記録となったした。1992年のユーロ92では決勝でデンマークに敗れたものの、準優勝。1994年のワールドカップ・アメリカ大会にも正GKとして出場したが、準々決勝で敗退し、大会後に27歳という若さで代表を引退した。
長年、1.FCケルンでプレーを続けたが、1996年にファビオ・カペッロ監督の誘いを受けてスペインの強豪レアル・マドリードへ移籍。リーグ優勝やUEFAチャンピオンズリーグ優勝に貢献し、クラブでも大きなタイトルを手にした。晩年は怪我が多くなり試合出場は少なくなったが、若き日のイケル・カシージャスに多大な影響を与えたといわれる。2001年に現役引退した。
引退後はスペイン・マドリードに在住。テレビのコメンテーターとして活躍している。
個人成績
代表歴
出場大会
- 西ドイツ/ドイツ代表
- 1990 FIFAワールドカップ
- 1994 FIFAワールドカップ
試合数
- 国際Aマッチ 54試合 0得点(1987年-1994年)
タイトル
クラブ
- UEFAチャンピオンズリーグ 2回(1997-98,1999-2000)
- インターコンチネンタルカップ 1回(1998)
- リーガ・エスパニョーラ 2回(1996-97,2000-01)
代表
- FIFAワールドカップ 1回(1990)
- UEFA U-16欧州選手権 1回(1984)
個人
- ドイツ年間最優秀GK賞 4回(1989,1990,1991,1992)
- 欧州年間最優秀GK賞 1回(1991)
脚注
外部リンク
- ボド・イルクナー - National-Football-Teams.com (英語)
- ボド・イルクナー - FootballDatabase.eu (英語)
- ボド・イルクナー - WorldFootball.net (英語)
- ボド・イルクナー - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- ボド・イルクナー - FIFA主催大会成績 (英語)
- ボド・イルクナー - UEFA (英語)
- ボド・イルクナー - Fussballdaten.de (ドイツ語)
- ボド・イルクナー - BDFutbol.com (英語)
- ボド・イルクナー - Munzinger Sports Archives (ドイツ語)
- Bodo Illgner – „Goalkeeping Museum“(英語)
